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ボクシングマスターへの道

『マスターにし、誕生』

 

「この試合に勝ったら日本で試合が出来るぞ!」

 

2003年7月10日のカルフォルニア クルーザー級タイトルマッチ前のことだ。

 

その時、私はお世話になっている社長宅に泊まらせて頂いていた。

 

仕事を与えてもらい、何とか生活していた。何がなんでも勝ちたかった。

 

私は肘を痛めていたが、肘をかばいながら練習をし、良いコンディションを作ることが出来た。

 

私は試合に勝っているというイメージをずっとしていた。

 

いや、勝って当然と思っていた。

 

今は亡き当時のトレーナーのビル・スレイトンからも「お前はモンスターだ!」と激励された。

 

誰もが私が、勝利すると信じてくれていた。

 

相手はとうにピークを過ぎた選手だ。

 

試合前日、いつものように空を見上げ、不安な心境から無敵だと思えるように暗示をかける。

 

しかしフラフラとし直立出来なかったのである。

 

「おかしいな…まさか」と思ってしまう。

 

結果は二ラウンドにKO敗けだった。

 

周りは勿論ガッカリしたが、何より私が皆の期待を裏切ったのだから一番落ち込んだ。

 

私はお世話になっている社長宅に荷物を置いて日本へ肘を手術しに行くために帰国した。

 

いつか必ず強さを証明してみせると心の中で叫びながら。

 

洋介の介は下に流れているから山で止めるために洋介山という名前になった、と師匠が誰かに話してい

 

たことがあった。

 

勿論、大きくなれ!という意味もあるのだが、山を取ってから、それが気になっていた。

 

私は実力で負けたと思いたくなかった。

 

負けを何かのせいにしてでも、這い上がりたかった。

 

その時は名前のせいにして自身を這い上がらせる為の言い訳にした。

 

言い訳をするなと良くいうが言い訳をしてでも這い上がりたかったのだ。

 

それからは色んな方に名前は何が良いか聞いたが、良い名前が見つからないまま渡米した。

 

ロサンゼルスでもジムの仲間たちに聞いた。

 

その頃、チャールズ・ウィルソンというカリフォルニア州ヘビー級チャンピオンと良く練習をしていた。

 

彼がマスターが良いんじゃないか、と教えてくれたのだ。

 

その頃はピンとこなかったが、名前にすがってでも勝ちたいと思うようになってきた。

 

それからマスターという名を好むようになってきた。

 

総合格闘技転向の時も名前を募集したが、良い名前が見つからないまま試合をした。

 

引退試合の時にミドルネームでマスターと入れようかと迷ったが、本名でケジメを付けて引退後から

 

マスターにしを使おうと決めた。

 

マスターにしとは西島洋介の心。

 

強くなりたいという願望の心。

 

強くなれなかった無念の心。

 

西島洋介とマスターにしは一心同体!!

 

2015年4月16日

マスターにし

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